2011年 07月 20日
忘れてはならないと思う。今日、僕らが得た感動は、彼女たちが 犠牲にしてきた多くのものに支えられているのだということを。 僕らはそんな事実を忘れ、しばらくすると、また次の感動に飛びつく。 そんな「感動のいいとこどり」を繰り返してきた。 感動の準備段階では、「好きでやっているんでしょ」。 でも、いざ感動の場面になると、「感動をありがとう」。 僕らはたいした対価を払うことなく、ただ感動だけを享受してきた。 あえて強い言葉を使うならば、競技者から感動を“搾取”してきた。 いつも日本中を駆け巡る「感動をありがとう」の言葉は、 選手たちの心の支えになっても、生活の支えにはならないのだ。 <中略> これは、スポーツに限った話ではない。 音楽にも、芸術にも、伝統文化にも、ほぼ同じことが言える。 いまは、競技や文化が到達した“結果”にしか目が向けられていない。 http://otozone.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-d7ff.html +++++++++ 先日書いた女子WCサッカーの報道内容における おいらの受けた不快感について うまい言葉で問題の核心を突いていましたので転載しました。
by anbsakura
| 2011-07-20 23:02
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